実家に引っ越し、妻と別居

妻が、実家の面倒を見るため別居準備

私の病気のこと、完治して復職しても再発の可能性が高いこと
復職しても給与が現在よりも低い水準では、やっていけないことなど
妻は、状況をよく把握してくれていて、理解者でいてくれると思っていましたが、
実はそうではなかったようです。

 

 

会社に退職意思を伝えた翌月の2012年4月
妻から別居を持ち掛けられました。

 

妻の両親の面倒を見る必要があるから、
近いうちに高知に帰ると、言うのです。。
しかも、フリーターをしていた息子を先に高知に引っ越しさせると言います。
息子は了承しているようでした。
追いかけるように妻が高知に引っ越していきます。

 

 

私に許可を得る、という姿勢ではありません。
もう、決定したことだから・・・そんな態度です。
妻にしても息子にしても、父親である私不在の場で
私の生活に関わることを勝手に決めていたのです。

 

 

「精神病で、退職して無収入男の面倒なんて、私はやってられないわ!」
そんな声が聞こえるようでした。

 

 

どこに引っ越す?

娘は、勤務先に独身寮があって、そこに移ると言います。
結局この家には、私一人が残ることになります。

 

 

家は借家です。
4人家族で生活するため、
しかも、息子と娘がそれぞれ一人部屋を強く希望したため
収入には不釣り合いの6LDK、高家賃の一軒家を借りていましたので
私一人で住むにはあまりに広すぎですし、
無収入男には贅沢な賃料です。

 

 

私も家を引き払って相応の賃貸物件に引っ越すことにしました。
問題は、その引っ越し先をどこにするかです。
幼いころから私は、実家の高知を出て県外で生活すると決めていました。

 

 

しかし、家族のことを母に話すと、「おまえも帰って来い」と。
盆暮れに帰省しても、この家にはずっと一人で住むんだと言い張っていた母ですが
やはり、寂しかったのでしょうか。
「だったら、帰ってこい。年金で二人分の生活は十分できる」

 

 

ひざ痛で、トイレに行くのも苦労している母の面倒を見ようと
高知へ帰る決意をして、引っ越し準備を始めました。

 

 

9月12日、引っ越しが完了しました。
そして、18日後の9月30日に母は突然亡くなりました。
母の「帰ってこい」は自分の最後を知っていた言葉だったのかもしれません。

 

 

引っ越し、妻との別居、母の死…
「治りが遅くなるどころか、悪化しても仕方ないです」
医者からはそう言われました。

 

 

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